[轉錄][新聞] カンニング竹山、会見で心境吐露 …
※ [本文轉錄自 JapanIdol 看板]
作者: halken (謝絶傳教) 看板: JapanIdol
標題: [新聞] カンニング竹山、会見で心境吐露「1人でも名前変えない」
時間: Fri Dec 22 12:57:02 2006
カンニング竹山、会見で心境吐露「1人でも名前変えない」
20日に白血病ウイルス性肺炎のため亡くなったお笑いコンビ、カンニングの中島忠幸さん(享年35)の相方、竹山隆範(35)が21日、東京・四谷のサンミュージックで会見。「(闘病中の)2年間はいつか2人に戻れるという希望を持ちながらの闘いでした」と無念の心境を吐露。一方で今後も「(名前は)変えずカンニング竹山で」とカンニングののれんを1人で守る覚悟を語った。
ここ10日間は仕事が終わった後の午後10時ごろ、中島さんが入院する都内の病院へ見舞う生活が続いていた竹山。「励まし合い、頑張ってきましたが、非常に残念な結果になりました。最悪のことがあるかもしれないと気持ちの整理はついていました」。疲労を漂わせながらも芸人らしくしっかりした口調で切り出した。
2日前、「今夜が山」と知らされ夕方病院へ。21日も午前10時ごろ、「頑張れ」と声をかけてから仕事に向かった。数時間後、マネジャーから訃報を受け、仕事後の午後10時過ぎ、中島さん宅で悲しみの対面を果たした。
「最後の闘病を見ていて可哀想だったので、きれいで安らかな顔をしていてよかったと。家族で戦友で夫婦みたいなもんで、ネタやっている時に見る横顔、もう見れないと思うと寂しい。昨夜、(同棲中の)彼女としこたま泣きました」と何度も深いため息をついた。小、中学校と同級生だっただけに悲しみは深い。
中島さんは一昨年12月、急性リンパ球性白血病のため入院。今年3月と6月に臍帯血移植を受け、8月には回復し退院。秋に2人で食事をして、来年春にコンビ復帰しようと話した。中島さんは体重が53キロから47キロにまで減ったが、治療で抜けた髪も生え、後輩のライブにも出かけていた。
だが、11月に再発し27日、入院。今月8、9日に一時帰宅したが、10日朝、肺炎を併発。人工呼吸器を付け、意識はほぼない状態のまま帰らぬ人となった。一時帰宅前、携帯電話のメールでのやりとりが最後になった。
竹山の年末年始の仕事はレギュラーを含めて約30本。「あいつのおかげで世に出て仕事ができるようになりましたんで、一生懸命仕事をしていきたい。あと中島を芸人としてしっかり送り出してやろうと、それがカンニングとしての最後の仕事。だから安心して逝けと」。
中島と二人三脚でお笑い界を駆け上った竹山。最後まで涙をこらえる姿に悲痛さが漂っていた。
★竹山に聞く
--訃報を受けた時は
「2年間、正直つらい状況でこういうことになるかもしれないと思っていました。肺炎を起こして駆けつけた時にはしゃべれない状態で、そこから1週間半くらいは奇跡が起こればいいと思いながら一生懸命働いておりました。気持ちの整理はついていました」
--最後の朝は何と声を
「頑張れよ。漫才やるぞって」
--再発を聞いた時は
「個人的に(病気について)調べたこともあったので今回はまずいかなと思いました。本人は気を落としていたので『頑張れ。今までうまくいったんだから』と励ましました」
--中島さんの人柄は
「とにかくいい奴。僕のわがままなところをいつも聞いてくれました」
--真奈美夫人(35)と一昨年4月に結婚して同9月に生まれた長男の翔太君はまだ2歳
「悲しい状況ですけど息子がこの世に生をなしたことは救いで、奥さんも一生懸命やってくれて支えになったと。それがなかったら中島はもっと精神的にまいっていたと思います。枕元は息子さんの写真だらけで、よく『かわいいだろ』って。自慢の息子さんです」
--2人の様子は
「息子さんは無邪気に遊んでいます。奥さんは見ているとつらいけど、気丈にやっていたし覚悟はできていたと思います。付きっきりで看病していましたから」
--中島さんの復帰まで結婚はしないと公言した
「あいつも僕も彼女も昔からの仲間。彼女と2人で決めたことなんで」
--葬儀は
「あいつがかわいがっていた後輩を集めてワイワイと送ってやりたい」
--ファンにひと言
「いろいろなことを隠しながらになり申し訳なかったです。残念な形になりましたが、中島本人も一生懸命闘い切りましたので、最後の姿を応援していただけたらうれしい」
★闘病中もギャラは折半
中島さんの休業中も、ギャラは2人で折半と言われていた件について、会見に同席したサンミュージックの相澤正久社長(57)は「そういうことです」と明かした。「カンニングの看板を表で守るのが竹山、裏でネタ作りなどして支えるのは中島。二人三脚という思いだったんでしょう。2人で話したようで竹山から申し入れがありました」と説明した。
別の関係者によると、同コンビのギャラは仕事1本につき約1万5000円からスタートし、中島さんが休業した頃には20~30万円台に昇給。2年間で1人分は数千万円に上ったという。
■通夜と葬儀・告別式
通夜は23日午後6時から、葬儀・告別式は24日午前11時から東京都中野区中央2の33の3、宝仙寺で。葬儀委員長は相澤正久サンミュージックプロダクション社長。喪主は妻、真奈美(まなみ)さん。
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200612/gt2006122201.html
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